ADHDとASD思考と感情に溺れるPM1時~
1992年1月、とりあえず生まれた。
2021年10月某クリニックで発達障害です。という診断を受けた。
いつからだろう。
いのまにか。あるいは初めから。
一体なにを図る物差しなんだろう
だりぃ
ただ、それを知らないのと知っているのはどちら不幸か、幸福か。
結局のところ解釈なんだろう
自分に自信が持てない
自己肯定感がない
対した実績もない
幼小期の家庭環境
ただ孤独。そう感じるのも解釈なんだろう
その時々を承認を得る為にもがき生きた。
誰かといても根本的に孤独である。
それも解釈
思考停止。からの反芻
頼ることや甘えることが容易でない。
空の自信が自分の首を締める
胸に硬い鉛のような、排気ガスのような、灰色のなにかが立ち込める。今はその不快な感情を振り払おうとしても無意味だ。繰り返し再生される。そんな時間。
19歳の時に死んだ友達は家族と夕飯の団欒を負えた後クローゼットの中で首を吊った。
足が綺麗で背中の鳳凰の刺青が綺麗で風貌とは打って変わって繊細で、ずうずうしさがなく、いつも相手に歩調を合わせる優しい女の子だった。
私が少年院に入っている最中に亡くなり
出てきた時に地元の友人(すでに疎遠から聞いた)
自分というものに見切りをつけたあの子みたいに綺麗に生きるもそして死ぬも難しい
私はクローゼットで死ぬ勇気などない。
快速に飛び込む勢いもなければそこまで棄てることができない。
飛び降りるのに必要なビルを探したり、インターネットで練炭を購入し、レンタカーを借り山の中でガムテープで固定し睡眠薬を多量に服用し練炭を焚き死ぬ。
そんな行動力もない。
残された家族や関係者に後処理や生きていく上でのしかかる迷惑を考えると死ねない。
というのは完全に建前で
生存していたいだけ。執着しているだけ、だ。
目的も主体性もない人生
身体が大人になっても愛情ばかり求めている。ごっこ遊び・・
癇癪持ちの児童を頭に飼っている。
30児になると脳の司令塔はパワハラ上司のような男性になり
殴る蹴る父親の影がつきまとう。
傷つきたいのかもしれない。傷つけられたいのかもしれない。あんなにやだったのに根本は愛されている実感が欲しい
足りない
気持ちが悪い
泣きながら包丁を持ち追いかけてくる母親の泣き顔を思い出す。
恨んではいない。答え合わせをして自分に酔っているだけ
生産性はなにもないのに自分の瞼が熱を帯びて嗚咽がとまらない
酒に酔いつぶれるよりは優秀でしょ
いろんなタイミングや運命が重なってそれぞれがそれぞれだったからそうなった。私自身も私意外の家族も。
発達障害は遺伝らしい。ほんまかよ?お医者さんよ
悲劇のヒロイン的なエピソードが頭の中でバラバラに弾けて回転し壁にぶつかって布団に倒れこむ。
ヒッヒッヒッ グッ フゥ ・・・
ハッハッハッ なんやこれ 笑
今日はいつになく時間の感覚が走馬灯のように早い
これから精神科に行き追加で鬱やら統合失調症やら操うつやら別の診断名をつけて山盛りの薬を処方されるのだろうか
必要かそうでないかは
必要な理由とそうでない理由を吟味した上で
結局私のその時々の選択で決めるしかあるまい。
発達障害の薬。確かコンサータだったり、インチュニブだったりステなんちゃらとかいう薬でまず、この頭の散らかりを抑える方がいいのだろうか。
まあ、それをどう考えるのかの思考を整理するためにこのブログを活用していこう
眠れるお薬だけ欲しい
結局御託をならべてもその時々で感情的に判断してしまう生き物だ。私は。
今は1人で生きている。
正確にいうと、男と2人で住んでいるが出ていく気がないのでそのままにしている。
私みたいな人間は誰も幸せにしない。
私も1人になりたい
彼も彼なりに孤独なんだろう
彼も1人で生きていて
私も1人で生きている
申し訳ない気持ちになるから大切になんてしないで
矛盾している
傷つけられたいのに
傷つけられたくない
頼むから何ヵ月か物理的に1人にしてくれ